「神々の死」はこの項目へ転送されています。小説については「[[神々の死 (小説)
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ニーチェの批判は、医療科学・自然科学[5]や生物学から大きく影響を受けたと考えられている[6]。ニーチェによれば、神・霊・魂といった虚構によって、栄養・健康・住居といった人生の重大事が軽んじられてきた[7]。神が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上やからだを冒涜することである[8]。ここでニーチェは、「超人」とは地上的・身体的な人間であると述べている[8]。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘だとしている[8]。 「神の死」とは、ニヒリズム的状況[9]。彼岸を「真の世界」とする価値観(プラトニズムやキリスト教等)が崩壊したことで発生し、20世紀の哲学・神学へ衝撃を与えた[9]。 ニーチェによれば、「神の死」とは単なるキリスト教超克ではなく、虚無主義の宣言でもあった[10]。ニーチェが言うには、生の本質とは「力への意志」であり、それは自己維持のために必要な世界解釈を行う[10]。つまり、強者は自己を善とし、弱者を「劣悪」とする[10]。これに対して、弱者は虚構の世界解釈を行うのであり、その一例がキリスト教である[10]。畜群的な弱者は、強者の価値観を転倒させ、支配的な強者を「邪悪」とし、自己正当化する[10]。 弱者の考えにおいては、いずれ来る世の中 ―― または来世 ―― において弱者が支配者となり、強者は貶められる[11]。しかしこのような「神聖」な道徳は、実際は弱者の自己正当化に過ぎず、「神」とはこうした道徳の根拠であり、道徳の全体でもある[11]。ニーチェによると「神聖」な価値観は、彼岸に「真理の世界」を虚構する(例えばキリスト教やプラトン主義等)[11]。この虚構性についての洞察が、「神の死」を宣告することだった[11]。 「神の死」は20世紀の課題の先取りであり、これは「彼岸的真理」を否定することと結び付いている[11]。「真理」や「世界の目的」といったものは、虚構や仮構に過ぎない[11]。このような最高価値の喪失が、虚無主義だとされる[11]。
概要